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大きな風船
息子は最近、自分で風船を膨らませるようになった。


"I can blow up a balloon all by myself."
(ぼくひとりで風船をふくらませられるんだ)


と得意げだ。あまりにうれしかったのか、誰々の誕生日には、床一面に風船を敷き詰めるとか、今度公園で遊ぶときには公園中風船で埋め尽くすとか、風船を無限に使った企画を夢想している。世の中の風船は、すべて彼の支配下に納まってしまったかのようだ。

そんな企画を話すごとに、


"Can you believe it?"
(信じられないよね!)


と相槌を求められる。すごいよね、という以外は返事に窮してしまう。まあ、どうせ僕の返事は何も聞いていないので、別にそれは問題にはならない。そうこうしているうちに、風船の企画を次々に打ち立ててくる。

ただし、風船界の帝王となった息子も、ひとつ気を使っていることがあるらしい。小さい子がいる前では、大きな風船は作ってはいけないそうだ。

確かに、割れて大きな音を立てたら、小さな子どもは怖がるだろう。そして、割れたときのゴムの破片を間違って飲み込んでしまうと、窒息の原因になる(*1)。これはいい心がけだ。

と思いきや、そういう理由ではないらしい。


"A big ballon has too much air. It is too dangerous for little kids."
(おっきな風船にはたくさん空気が入っているでしょ。それがちっちゃい子にはすごく危ないんだよ。)


だそうだ。詳しく説明を聞くと、割れたときに多量の空気が発散されるため、小さな子どもは吹き飛ばされてしまう、ということだそうだ。

帝王には帝王なりの気遣いがあるようだ。ただ、ちょっと漫画の影響が強すぎるような気がする。


(*1) これが危険ということで、こちらの子ども病院では、ゴム風船の持込は禁止されている。さらに、天然ゴム(latex)アレルギー症者が増加しているため、昔ながらのゴム風船は危険なものとみなされるようになってしまった。その代わりに、病院では、foilあるいはmylarの風船(詳しくはよくわからないが、要はテカテカのやつ)が一般的になってきている。息子の幼稚園では、まったく気にしていないようだが。

テーマ:遊び - ジャンル:育児

未分類 | 15:33:06 | Trackback(0) | Comments(4)
子どもの時間軸
先週から幼稚園は冬休み期間で、普段と違うカリキュラムになっている。

詳しくはわからないが、担当の先生も日替わりになっているようだ。今日は、去年息子が習っていた先生が担当していた。僕とその先生は、半年前までは毎日、送り迎えの時に顔を合わせていたので、お互いに全く珍しい存在ではない。

突然、息子が予想外なことを言ってきた。


"I know her name. It is Miss ***."
(あの先生の名前しっているよ。 ***先生だよ。)


そんなことは今更言われなくてもわかる。唖然としていると、彼の説明が続いた。


"You know that teacher was my teacher long time ago? That's why I know her name."
(あの先生ね、ずっと前ぼくの担任だったんだよ。だから名前をしっているんだよ。)


微妙に話が食い違っている。その場はこのまま流したが、後から考え直したら、何がどう食い違っているのかわかったような気がした。

人間の時間感覚は相対的なものだ、という話を聞いたことがある。今まで生きてきた年数に対する割合が、体感時間になるというものだ。たとえば、同じ1年でも、3歳児は30歳の人間と比べて、10倍長く感じている、ということだ。

直感的に納得のいく理論だ。これによって、歳をとるにつれて時間が経つのが早くなる感覚も説明できる。

この理論を受け入れると、僕と息子の会話でのズレは、時間の感覚の違いによるものとなる。息子は、その先生に習っていたのは遠い昔の話で、僕が覚えているはずがない、と考えたのだ。なんとなく合っているような気がする。

さらに、この理論を用いると、もっと小さなレベルでの食い違いも説明つく。息子には、「先週食べたばかりじゃないか」とか「先週行ったばかりじゃないか」という説得がなかなか通用しない。わがままなだけかと思っていたが、実は彼にとっては十分長い時間が経っているということなのかもしれない。

本当に正しいのかどうかはわからないが、とりあえず十分説得力があるので、僕はこの説明を受け入れることにしよう。

そして、息子の相手にするときは、この相対時間感覚を考慮するよう、心がけていこうと思う。

ただし、理解はできても、僕らには子どもの時間感覚に合わせること、ましてやその時間軸で生きていくことは不可能だ。時間を長く感じることが出来るなんて、うらやましい限りだ。


テーマ:パパ育児日記。 - ジャンル:育児

未分類 | 18:36:29 | Trackback(0) | Comments(5)
カリフォルニアは雨が少ない。トレードマークの青い空とは、裏を返すとそういうことだ。

これほど爽やかな気候はないわけだが、季節の変化が乏しくて退屈だ、という人もいる。この気候の退屈さは耐えられない、といって東海岸に戻っていった人も何人か知っている。

今日はその気持ちが少し理解できたような気がする。

この気候は、子どもの意識形成にも影響してくる。そもそもの降雨量の少なさに、クルマ中心の生活が加わるため、雨を生活の一部として捕らえることができない。日本の幼稚園児だったら、「ピチピチチャプチャプランランラン」と、雨を身近なものとして消化している頃だと思う。雨の匂い、雨の時に用いる器具、雨の日の行動パターンなどが意識の中に埋め込まれているのではないだろうか。

息子は、完全に出遅れている。雨に対する経験が圧倒的に少ないのだ。

今日、結構雨が降っていた。駐車場から家に向かって、僕らは傘もささずに、平然と歩いていた。目の前に並んでいる木を見ながら、息子が言った。


"You won't get wet if you go under a tree. Tree is like an umbrella."
(木の下に隠れたら濡れないよね。木って傘みたいだね。)


子供らしい無邪気な発想といえないこともないが、いったいいつの時代の人間の台詞なんだ。このままでは、将来、雨の降る場所で育った子どもたちに馬鹿にされかねない。ある意味、乗り物がない場所で育った子どもと同じようなものだ。

一方で、


"Trees are good for us in two ways. It is like an umbrella and it makes air we breathe."
(木って、いいことが二つあるんだよね。傘みたいにもなるし、ぼくたちが吸う空気を作ってくれるんだよね。)


なんてことを言っていた。自然に対する理解は立派なものだ。あとは、人々は木の下で雨宿りなんかしない、ということを実感して欲しいところだ。

妙なもんで、日本の梅雨時の通勤・通学風景や、商店街の夕立などを、見せたいという気になった。やはり、青い空だけでは、退屈ということなんだろうか。


テーマ:海外で育児 - ジャンル:育児

未分類 | 18:12:46 | Trackback(0) | Comments(5)
レースカー
息子はよく乗り物の絵を描く。そして、その乗り物を使って、勝手なストーリーを展開する。自分が一番速い、もしくは、一番強く、レースに勝ったり、悪者をやっつけたりするだけの単純なものだ。

あまりにしつこいと、うんざりさせられることもあるが、やめさせるわけにもいかない。男の子である以上、避けて通れないことなんだと思う。

そして、そんな話をしてくれるのも今のうちだけ、という話もよく聞く。いくら鬱陶しく感じていても、将来振り返ると、それが貴重な瞬間に思えてくるというのだ。

残念ながら、まだありがたさは全く実感できないが、とりあえずはそういった作品にをスポット当ててみることにしよう。

紙の上でのレースはの毎日ように行われている。結果はいつも同じなのだが、これが今日のレース結果だ。

race


息子の乗ったクルマがトップで、運転しているのは僕だそうだ。

"Fighst(first) me and my dad."

と書いてある。後続車に2から8までの順位が振られているが、レイアウトに無理があったようで、6-8位のクルマが書いてある位置がかなり苦しい。3位のクルマは、煙を吐いているそうだ。巨大なテディ・ベアかと聞いたら、なんでここに熊いるんだと、逆にあきれられてしまった。煙には顔がついているもののようだ。

改めて見てみると、なんともうれしいことのような気がしてきた。空想の世界に父親が登場する(それも邪魔者としてではなく)のは、本当に今だけなんだと思う。

それにしても、後部座席に乗って、嬉しそうにしているのは、ちょっと消極的ではないだろうか。いつかは、自分で運転するストーリーにしていってもらいたいものだ。

しかし、それは僕が不要になることでもある。なんだか、ちょっと微妙な感じだ。


テーマ:男の子育児 - ジャンル:育児

未分類 | 17:27:44 | Trackback(0) | Comments(3)
骨への執着
息子は骨に対する執着が強い。

ここでも何度も話題になっているように、怖いものとしてガイコツを話題にするし、知識として人間の骨のことを知りたがる。ここ一年程度で、彼の興味の対象は大きく変化してきているが、骨に対する情熱だけは継続している。

そこに新たなネタが飛び込んできた。どういう流れだか忘れてしまったが、人間は死ぬと焼かれて灰になる、という話をしたのだ。軽く流すつもりだったが、骨の匂いを察知した息子は過敏に反応してきた。

“Are there ashes in bones?”
(骨の中には灰が入っているの?)

目を輝かせて的外れな質問をしてきた。

そういうものじゃない。しかし、僕は彼に理解させるだけの題材を持っていなかった。燃焼に伴う化学反応が、などつ苦しい説明をつけてみたが、全く役に立つわけがない。

“I want to see real bones and ashes inside!”
(本物の骨と、その中の灰を見てみたい!)

だから、骨の中に灰が入っているわけではないといっているのに。そして、中に灰が入っているんだったら、灰になった後の骨はどこに行くのだ。さらに言うと、本物を見て、何を確かめたいというのだ。

それにしても、作り物のガイコツを怖がるくせに、本物の骨が見たいなどとよく言えたものだ。まあ、一般論として、子どもは生体器官への恐怖心って薄いような気がする。血や傷口を見ても、僕らほど気持ち悪がらないように思う。

いずれにしろ、息子の骨への執着は、さらに強まってしまった。

時期が時期だけに、大きな心配がひとつある。彼がサンタさんに「本物の骨」をお願いしかねないのだ。

まずは、人間の骨は人間から取り出すしかない、ということから理解してもらわないと。

PS

アメリカの郵便局による、サンタへの手紙の書き方なるものがあった。

神様にも同じ方法で書けるとのこと。ユーモアのつもりだろうが、あまりにいい加減だと思う。後処理に困るので、息子には黙っているつもりだ。


テーマ:子供のマイブーム - ジャンル:育児

5歳の科学 | 15:44:57 | Trackback(0) | Comments(5)
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