投稿日:2006-01-28 Sat
"What if Earth is made of candy?"
(地球がお菓子で出来てたら?)
息子が言い出した。お菓子の国って、子どもだったら誰もが考えることのように思う。子どもじゃなくても、自分の周りがすべてお菓子で出来ていたら、と考えたら楽しくなってくるものだ。
しかし、最近、彼には砂糖の獲り過ぎは良くない、という意識がある。僕の顔色を伺いながら、少し言い直した。
"What if a half of Earth is made of chocolate and the other half is made of vegetables?"
(地球の半分がチョコレートで出来ていて、残りの半分が野菜で出来ていたら?)
優等生的な回答だが、野菜半球にいなければ何の意味もない。空想の中では、彼はチョコレート半球に住んでいるに違いない。意地悪だと知りながら、どっちに住みたいのか聞いてみた。
"I will be in the middle."
(真ん中がいいかな)
話の流れを読まれてしまったようだ。まあ、砂糖ばかりではいけない、という意識があるだけでもえらいように思う。実際問題、お菓子の国と野菜の国があったときに、野菜の国を選ぶ子どもは、むしろ変わり者の部類に入る。
空想はさらに発展して、どこでも食べ物があったら、と考え始めた。
"What if Earth is full of foods? When you eat food, new one pops up. You don't even have to pay the money."
(地球に食べ物があふれていたら?食べたら、新しい食べ物が出てくるんだよ。お金も払わなくてもいいんだよ。)
なんだか、フォーク歌手みたいになってきている。それでも、そうなったら便利だし、地球上から飢餓の心配も消える。以前、飢餓の問題が話題に上っていたので、それが意識に残っていたのかもしれない。これも悪いことじゃない。
しかし、そうなったら、お金を払わなくていいことは、あまり関係ないのではないだろうか。そのお金はどうするのか聞いてみた。
"You save the money, in case it gets back to normal."
(お金は貯めておくんだよ、もとの状態に戻ったときのために。)
そう来るか。
空想の世界に、現実の世界が顔を覗かせた瞬間だった。6歳が近づいてきた息子の世界を象徴したような台詞だと思った。
投稿日:2006-01-20 Fri
どういうわけか、アパートの駐車場に新しい車が数台並んでいた。
息子がこれを見過ごすわけがなく、早速何で新しい車があるのか聞いてきた。
本音の回答は、そんなこと知ったこっちゃない、なのだが、何も答えないわけにはいかない。年末年始のセールで買った人が多い、といった程度のことだろうが、そんなことをいちいち確認するのもめんどくさい。適当に、新年だからだろう、と言ってみた。
すると、
"Oh I know that! It's new year's revolution!"
(あ、それ知っている。新年の革命だよね!)
響きは面白かったが、明らかに言い間違いだ。今年の目標(new year's resolution)のことだろ、と確認してみると、どうもそうではないようだ。
No, it is reVOlution!"
(違うよ、革命だよ!)
確信を持っている。修正を試みたが、全く聞き入れる様子がない。仕方がないので、その意味を聞いてみた。
"It is to make you better and make things better."
(それは、自分を良くしたり、いろんなものを良くしたりすることだよ)
玉虫色の回答だ。これだったら、どっちの意味にも取れる。こうきたら、僕の能力では5歳児に違いを理解させることはできない。自分の決意さえあれば、革命だって起こせる、などと哲学的な論理展開をしたら、完全に意味不明になってしまう。
そして、以前話題にしたように、5歳児にとっては1年というのはとてつもなく長い時間なのだ。一年の目標、なんていう概念はありえないのだ。
ということで、彼の仮説を採用することにした。新年になったら、革命が起こり、いろんなものが良くなる。そして、みんな新しい車が入手できる。これだったら、新年を迎えるのがより楽しみになるじゃないか。
ただし、今日は教えられなかったが、それは与えられるものではなく、自分で努力しなければいけない、ということだけは理解してほしいと思った。
投稿日:2006-01-12 Thu
"Nobody, except for astronauts, can reach the outer space,
even dinosaurs, right?"
(宇宙飛行士以外は、誰も宇宙にいけないんだよね。恐竜だっていけないんだよね?)
息子が聞いてきた。その通りだ。言葉遊びになってしまうが、人類で宇宙に行った人は例外なく宇宙飛行士と呼ばれる。そして、恐竜が宇宙に行ったことを示すものは見つかっていない。
でも、宇宙人は宇宙にいけるのだ。軽く言ってみたら、
"There is no such a thing as alien."
(宇宙人なんて存在しないんだよ)
と淡白な答えが返ってきた。それはそうなんだけど、確証無しに決め付けるのはよくない。どうして言い切れるのか聞いてみた。
"They make a mistake and get too close to the earth. Then they die."
(宇宙人は、間違って地球に近づきすぎて、死んでしまうんだよ)
そうか。存在しないというのは不正確で、地球に近づいた瞬間に死んでしまう、ということらしい。なぜ死ぬかというと、
"They need space oxygen. Even in a mask, there is too much oxygen here
so they die."
(宇宙人は、宇宙酸素が必要なんだよ。マスクをかぶっていても、地球には酸素がたくさんあるから、死んじゃうんだよ)
なるほど。確かに地球上には宇宙酸素はない。呼吸ができなければ、宇宙人だって生き延びられないだろう。
話はここで終わらなかった。
"Then the spaceship becomes a playground."
(そしたら、宇宙船が遊び場になるんだよ。)
という豆知識を披露してくれた。でも、すべての遊具が宇宙船の残骸ではないらしい。そういう遊び場も存在している、ということだそうだ。息子は、残念ながら、そういった遊び場を自分では見たことがないらしい。
宇宙人が存在しないという事実と、宇宙船の残骸が存在するという事実は矛盾しているように思うが、あまり気にしないことにしよう。僕が古典物理学に毒されているだけで、先端科学の分野では、息子の理屈が正しいのかもしれないし。
いずれにしろ、宇宙人には、地球上で宇宙酸素を確保する技術はないようだ。万が一襲来してきても、恐れることはない。なんだかわからないが、安心してよさそうだ。
投稿日:2006-01-09 Mon
アイシング: 菓子などの砂糖ごろも(広辞苑)
icing: a sweet flavored usually creamy mixture used to coat baked goods. (Merriam-Webster)
息子はテレビのコマーシャルにめっぽう弱い。以前にも話題にさせてもらったが、毎度、シリアルやヨーグルトにはいちころだ。
今回も、この冷凍パンに取り付かれてしまった。

手足のついたシナモンロールがトースターに飛び込み、たくさんのミニチュアになって飛び出してくる、というコマーシャルを見て、
"I want that, I want that!"
(あれ欲しい!)
となってしまった。これで朝ごはんを食べてくれるなら安いもんだと(って、理想的な朝食からは程遠いわけだが)、早速買ってきた。
翌朝、オーブントースターで暖めて、お皿の上においた。なんだか冷たい気がしたが、どうせ熱いものは食べられないし、寝ぼけてもいる。そのまま出してみた。
"Swirl!"などといいながら、嬉しそうに食べている。とりあえず、中は凍ってはいないようだ、と思いきや、
"It is cold inside!"
(中は冷たいよ!)
だめだったようだ。しかし、なんだか嬉しそうだ。
"This is good! It is cold inside. Icing inside!"
(おいしいよ!中冷たいよ。アイシング入りだよ!)
確かに、パッケージにもアイシング入りとは書いてある。息子は、もちろん、ケーキに乗せるアイシングのことは知っている。しかし、凍っているパンを口にして、「これもアイシングというのか」と理解したようだ。
先入観に取られないこの発想は、ある意味すばらしい。
それにしても、この半分凍っているパン、本当においしいと思ったのだろうか、それとも納得いかないままおいしいと言ったのだろうか。
とりあえず、しばらくは半焼きの状態で与え続けてみよう。
テーマ:離乳食・幼児食メニュー - ジャンル:育児
投稿日:2006-01-07 Sat
幼稚園への送り迎えのとき、僕は息子を助手席に乗せている。安全面からみたら、望ましくないことだが、車が2シーターなので仕方がない。助手席装着されたチャイルドシートも、見慣れてしまって、最初ほど不自然には感じなくなってしまった。
安全性での最大の問題は、もちろん事故にあったときの衝撃だが、運転中に子どもが何かをいじってしまう可能性という問題もある。実際、息子を乗せ始めたころは、ハンドル、シフトノブ、ハンドブレーキなどにに触りたがって、かなり苦労した記憶がある。
そんなことも、時間が経つにつれて、すっかり忘れてしまった。息子の方も、車に対する興味が薄れてしまったかのように、手を伸ばさなくなっていた。
今日、そんな息子の真意を垣間見れるような出来事があった。
幼稚園へのお迎えのとき、間違って運転席に乗り込んだのだ。昔だったら、大喜びでハンドルをまわしたり、ワイパーをオンにしたりしていたところだが、何事もなかったかのように助手席に移動しようとしていた。
運転したい?と軽く冗談で聞いてみたら、淡々と、
"No, we will get into an accident."
(いや、そしたら事故にあっちゃうよ。)
その通りなんだけど、ちょっと拍子抜けだった。そして、
"I am just a kid. I even didn't get training."
(ぼく、ただの子どもだよ。訓練だって受けていないし。)
と、今まで聞いたこともないような、まともなことを言ってきた。まとも過ぎるくらいだ。
そう、知らないうちに、もう意味もなくコントローラーに手を伸ばすような時期は過ぎてしまっていたのだ。
この成長は嬉しいことだが、もう意味不明なことを言わなくなる兆候でもある。僕の中には、まだまだトンチンンカンな会話を楽しみたい、という気持ちが残っている。
よく言われるように、親の心の準備が整う前に、子どもは成長していってしまう、ということなんだろう。ちょっとみみっちい話だが、息子の一言一言を、もっと大事にしていこうと思った。
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